なぜ聖書の言葉を一緒に聴くといいのでしょうか?
1.古くから行われてきた聖書に基づく習慣だからです
聖書には、神の民が集まり、みんなで神の言葉を聴く様子が繰り返し登場します。これは今日の私たちにとってもお手本となる姿です。
- モーセ(出エジプト記 24:3-8)
- エズラ(ネヘミヤ 8:1-3; 9:1-3)
- ヨシュア(ヨシュア 8:32-35)
- ヨシア王(2列王 23:1-3; 2歴代 34:29-31)
- イエス(ルカ 4:16-21)
- パウロとテモテ(1テモテ 4:13)
- 初代教会(使徒 13:14-15)
2.聖書の言葉を聴くことは、食事をとることと同じだからです
私たちは毎日の食事を楽しむように、霊的な食物である聖書の言葉を楽しみます。
では私たちは毎日どのように食事をとっているでしょうか?
- 決まった時間に食べる
- まとまった量をバランスよく食べる
- 家族や友人と楽しみながら食べる
イエスはマタイ4章4節で、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」と語っています。大切なのは「一つ一つのことば(every word)で」ということ。私たちが霊の健康を保つためには、聖書の気に入った箇所だけでなく、全体的にバランスよく、しかも繰り返し聴く必要があります。
「みんなで聖書 PRS Bible Club」でみんなで一緒に聴く習慣を作れば、食事と同じように楽しみながら、継続して聖書の言葉を受け取ることができます。
私たちの魂は神のみことばにある真理を求め、もっと聖書を読みたいと思っています。しかし一人で聖書を読み始めたけれど、途中で読むのをやめてしまう人も大勢います。毎週礼拝に出席していたとしても、1回の礼拝で読まれる聖書箇所は数節程度であり、とても聖書全体が読める量にはなりません。
第一テモテ4章13節では、パウロはテモテに「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。」と教えています。今日も、多くの勧めと教えは行われており、これらはクリスチャンが学ぶ上で必要なことではありますが、私たちを究極的な意味で成長させるのは、人の言葉ではありません。パウロは第一コリント3章6節で「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」と語っています。人の言葉は、成長のきっかけを与えてくれるかもしれませんが、神のみことばだけが本当の意味での霊的成長を与えることができるのです。
4.ほかにも良い点がたくさんあります
- 互いに励ましあえる
一人で聖書全巻を通読しようと思っても、すぐに挫折してしまう人も多いのではないでしょうか。しかしみんなで聴けば、お互いに良い刺激になり、最後まで続けることができます。 - 「ただ聴くだけ」のシンプルさ
「みんなで聖書 PRS Bible Club」は誰でも気軽に参加できます。聖書勉強会のように、宿題やディスカッションをする必要はなく、ただ聴くだけでよいのです。 - 聖書の言葉を別の視点で捉えられる
聖書の言葉を聴くことは、一人で静かに聖書を読む時とは違った視点を与えてくれます。耳で聴きながらゆっくり考え、内容を深く自分の中に取り入れることができます。
なぜ聖書を聴くのでしょうか
- 神ご自身に聴くため
人は誰でも愛する人の言葉に真摯に耳を傾けます。同じように神への愛を深めたいなら、まず神ご自身のみことばを聴きましょう。 - 神のみことばを実践するため
ルカ11章28節で、イエスは「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです」と語っています。私たちは父なる神の声を聴くことで、神のみこころをどのように行うべきか知ることができます。 - 神様との関係を深めるため
人が成長し、成熟するには、体に良い食べ物が必要不可欠です。同じようにへブル書6章には、霊的に成熟するためには神のみことばが不可欠だと語られています。