「聴くドラマ聖書」のアプリをダウンロードして、日々のデボーションや諸集会での聖書朗読に用いさせて頂いて、「いいね!」と思っているのは私だけではないでしょう。臨場感あふれる音声や、登場人物に合わせた男性、女性の声を聴きながら、今までとはひと味もふた味も違う体験をしています。きっと自分の勝手な思い込み、読み込みがあるのでしょう、それまで自分がイメージしていた情景や人物像とは異なることなどもあり、それがかえってみことばから深く教えられるきっかけにもなっています。
ある牧師が「『読む』という行為においては、主導権が読む側にあり、『聴く』という行為では、語る側に主導権がある。だから語る神さまが主導権を取られるよう、私たちは『聴く』ように聖書を『読む』必要がある」と語っていたことを思い起こすのです。「聴くドラマ聖書」は、まさしく「聴き」ながら、文字を追って「読む」ことのできるすばらしいツールだと感謝していました。
ところが、日本G&M文化財団の皆さんから、「もちろん、『聴くドラマ聖書』をデボーションや通読のために個人で使って頂きたいのですが、本当に体験して頂きたいのは「PRS」なんですよ」と教えて頂きました。PRSって?英語のPublic Reading of Scripture(聖書の朗読<Iテモテ4:13参照>)の頭文字を取って名づけられた「みんなで聴く会」とのこと。旧約時代から、初代教会にも、そしてグーテンベルグの印刷機が発明されて、印刷された聖書を誰もが手にすることができるまで、人々は聖書の朗読、そう「PRS」を通してみことばに触れてきたのでした。世界的にも識字率が高い日本。デジタル化が進んで、聖書もデジタル版が整っている。それに、「聴くドラマ聖書」が無料で手に入り、「聴き」ながら「読む」、そう「聴読」ができるようになったのですから、わざわざ、みことばに耳を傾けるための集会を始めなくても...。それに、教会にはすでに様々なプログラムや集会が整っているでしょう...。と思ってしまいがちですが、海外ではPRSを取り入れた教会が、すばらしい「みことば体験」を既にしているというではありませんか。
そこで、すでに「聴くドラマ聖書」の祝福を頂いている教会の牧師たちが集められ、PRSを日本の教会の働きに取り入れてみて、お互いにその可能性や見知を分かち合い、共に学び合いましょう、とのはこびになったのです。こうして始まったのが「PRS研究会」です。コロナ禍において、様々な教会の働きが変更や延期・休止を余儀なくされている中、オンラインやオフラインで実験的に各地の教会でPRSが行われ始めています。そのような中から与えられたアイディアや知恵が、このサイトでも共有されるでしょう。この日本でも「PRS」が広く用いられて、日本全国に福音が満ちるために、貢献していくのを楽しみにしています。
髙澤健(「PRS研究会」ファシリテーター)